Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

シンプルな明晰さ:美しさ:5年ぶりに数学問題集を解く

こんにちは。しんいちです。

 

今朝は「やわらかな思考を育てる数学問題集1」岩波現代文庫をやりました。

やわらかな思考を育てる数学問題集1 (岩波現代文庫)

やわらかな思考を育てる数学問題集1 (岩波現代文庫)

 

 

この本は森田真生さんが「数学の贈り物」の中で、数学の教科書として、地元の子供と勉強する時に使うとおっしゃっていた本です。

 

この本を買った理由

大学受験以来あまり数学に触れてこなかったので、久しぶりに数学をしたくなったというのがあります。

 

大学受験のときは、やはり数学の苦手さは抜けきれないままでした。

 

とはいえ、数学が嫌い、なんてことはありません。

むしろ、数学は好きでした。

 

自分は京都大学を志望していたので、京都大学の数学を解くことが多かったのです。

京都大学の数学は受験において最も難しいと言われるような内容で、試験問題は全部で6問くらいしかありません。

 

すべてちゃんとした論述で解かなければならないもので、センター試験の穴埋めのように途中式で点数がもらえるものでもないです。

 

しかしセンター試験と違って良いところは、解法に正解がないということです。

センター試験は一通りの解き方しか認めない回答形式です。

 

でも京都大学は論理に穴がなく、回答に至っていれば正解になります。

その本来的な自由さが好きでした。

 

また、数学は考えて考えて解けた時にものすごい歓びを感じます。

 

回答に至った瞬間にパズルがカチッとはまるような。

書き上がった式が白い紙の上で踊りだしそうな。

 

なんとも言えない感動があります。

 

だから数学は好きでした。

 

でも一方で解けないことのほうが圧倒的に多かったです。

 

大学受験では点数がとれなくてはいけません。

数学は好きだけど、他の科目もやらなくてはいけない。

点数が伸びない科目は戦略的に時間を減らして、得意な科目を伸ばそう。

 

そうやって数学は好きだけど、苦手なものとして残っていました。

 

多分、過去の自分と改めて向き合いたくなったのかもしれません。

彼にできなかったことに、もう一度トライしてみたいとか。

 

いまならできるかもしれない、なんて。

f:id:skafuka:20190323081805j:plain

シンプルな明晰さ:美しさ

 

今朝目が覚めると、テーブルの上にこの問題集がありました。

昨日アマゾンから届いたものです。

 

1問だけ解いてみよう。

そう思って、1問目をとき始めました。

 

もう5年ぶり以上でしょうか。

まったく当時のカンが戻ってきません。

 

でも以前より数学の言葉に馴染める気がします。

昔は解かなくてはいかない難敵だったのに。

いまは豊かな世界に門を開いているような気がします。

 

すっごく不格好に、間違えながら問題を解きました。

 

こちらが問題です。みなさんならどのように解きますか?

少し考えて見てください。

f:id:skafuka:20190323080937j:plain

 

 

 

 

 

僕のノートはこちらです。

普通に計算間違えているので、なんども書き損じています。

f:id:skafuka:20190323080947j:plain

 

 

 

そして回答がコレです。

f:id:skafuka:20190323080931j:plain


なんてシンプル!

ごちゃごちゃと計算していたのに驚きです。

 

数式があっているのかわかりませんが、数式で考えるのが常識だと思って解いたのに、文章だけで完結してしまいました!

 

この明晰さと、答えがわかったときのシンプルさ。

 

柔らかな思考の持ち主だったら、すぐにおもいつくんでしょうか笑

 

数学の魅力にまた出会えた気がします。

やわらかな思考を育てる数学問題集1 (岩波現代文庫)

やわらかな思考を育てる数学問題集1 (岩波現代文庫)

 

 

ブログを書く筆が重かった日

こんにちは。しんいちです。

最近は朝起きたらすぐにブログを書くようにしていました。

しかし、今日はパソコンに向かっても何も書くことが思いつかず、朝のうちに書くことが出来ませんでした。なので、今日のブログは夜に書いています。軽いスランプのようなものでしょうか。

今回は自分がかけない時に、どうして書けないのかを考えます。

 

f:id:skafuka:20190322184442j:image

 

自分が「書けない」という状態になった時に、どのように思考していたのか。
そして、何故そのような状態になってしまったのかを考察します。

 

・理由1:イチローさんのことを書きたかったけれど、自分が彼のことを書いていいもの迷った

・理由2:リトアニア観光地など、リトアニア関連の記事を書けば良いのだが、調べることに対して意欲がわかなかった

・理由3:きっと春だから


理由1:イチローさんのことを書きたかったけれど、自分が彼のことを書いていいもの迷った

これは結構ブログを書く上で障壁となる思考だなと感じます。
自分は詳しくないし、語る資格なんかないのではないか、と。野球をやったことがないし、今まで熱心に野球をみたこともない。そんな自分がイチローさんについて書いていいんだろうか、と。

ブログに書くという行為は他人に読まれることを前提としているわけですから、急に自分の考えを外に出すのが怖くなったというのもあります。

逆に言えば自意識過剰な考え方ですね。
「自分の顔を気にしているのは、自分だけ」
という言葉もありますように、そんなに誰も気にしていないはずなのに。

こう先の、未来のことを考えて、行動できなくなってしまうという状況は最近学んだ仏教思想のことを思い起こさせました。

先のことを頭で考えて、悶々としているのは心に囚われている状態、仏教用語で言い換えると「生死(しょうじ)」の状態です。生死はこり固まりやすいので、それは解いてあげなくてはいけないものです。生死を解いてあげないと、安楽の状態には至ることができません。いつまでも、頭の中でぐるぐる考えるままです。

時間の考え方も違います。
一般的には過去現在未来を一列の水平な時間軸として考えます。
しかし仏教では一瞬一瞬しかありません。

過去もなければ、未来もなく、今その瞬間に生成消滅を繰り返しているのです。

このことを一遍上人は次のように表現しています。
「念々臨終、念々往生」と。

この時の「念」は「刹那」を意味しています。

未来のことなど考えてもわからないのに、そこを憂えて行動できなくなってしまった。
勉強して知識はあっても実践するは難し、といったところでしょうか。


理由2:調べることに対して意欲がわかなかった

リトアニア観光地など、リトアニア関連の記事を書けば良いのですが、調べることに対して意欲がわきませんでした。

これは結構やっかいです。調べ物に対してモチベーションが上がらない。
リサーチするのは時間がかかります。ただ調べ物するのは嫌いではないので、なぜ今日に限ってそのような気持ちになったのでしょうか。

原因としては、他のことが頭を占めていたからだと思います。
どういうことか説明しましょう。

今日は朝寝坊をしました。
いつもは6時ごろにおきて、朝の習慣を終わらせてしまいます。

僕の毎朝の習慣は
・モーニングページ
・瞑想

の2つです。
モーニングページはいつか詳しく開設しようかと思うのですが、朝一番に思いつくことを書き連ねていくという、一種の脳のデトックス作業です。
これと10分から15分の瞑想を行います。

しかし、これができていない。

またここ数日家を空けていたため、部屋の掃除がしたい。

他にも、最近はプログラミングと編み物も始めたので、やることが多いのに時間がない、的な感じで焦っていました。
今は落ち着いたので、やれるとこからやっていこうと思います。

まとめると、心が焦っていたので、ゆっくりと調べ物をする気にならなかったのです。
「忙しい」という漢字が「心」を「亡くす」というのは宜なるかなという気持ちです。


理由3:きっと春だから

もう一個は春だからです。
まず昨日は春分でしたね。

春の暖かさ、桜の開く匂い、寒い冬を乗り越えてほわっとした気持ちになります。

頭が熱に浮かれているとでもいいましょうか。

春には少しタガが外れてしまう人が出るというくらいです。

「春だから今日はムリー」なんて理由もありだと思うのです。

皆さんの春はいかがですか・

ビリニュスに行ったら絶対に訪れるべき観光スポット8選

こんにちは。しんいちです。

 

昔からの町並みが残り、全体が世界遺産に指定されるリトアニアの首都ビリニュス

今日はビリニュスに行ったら絶対に訪れるべき、スポットをご紹介いたします。

 

ちなみに、リトアニアってなんだろう?というかたはこちらを御覧ください。

skafuka.hatenablog.com

 

①大聖堂

街の中心にあり、観光するにあたって目安となる教会です。

広場では定期的に大きなライブなどが行われ、人々のいこいの場になっています。

 

f:id:skafuka:20190321065533j:plain

②旧市街

世界遺産に指定されたビリニュス旧市街です。

昔ながらのヨーロッパの町並みが続く、素敵な場所です。

f:id:skafuka:20190321082429j:plain

f:id:skafuka:20190321082443j:plain

f:id:skafuka:20190321082456j:plain

 

③夜明けの門

16世紀初頭、に造られた5つの門のうちの一つです。

教会の二階にはマリア様のイコンがあり、多くの人の祈りの場所になっています。

f:id:skafuka:20190321080858p:plain

 

④ゲディミナス城

f:id:skafuka:20190321082529j:plain

 

⑤三本の十字架の丘

少し中心地から離れた丘の上にある十字架です。

ここから市街を一望することができます。

f:id:skafuka:20170917192018j:plain

f:id:skafuka:20190321081311p:plain

3本の十字架の丘から見た旧市街



⑥聖ペテロ・パウロ教会

個人的にビリニュスの教会の中で一番好きな教会です。

ナポレオンがこの教会をフランスに持って帰りたい、といったほど美しいという話が残っているそうです。

f:id:skafuka:20190227215801j:plain

f:id:skafuka:20190321081000p:plain

f:id:skafuka:20190321081454j:plain

 

⑦ウジュピス

ビリニュス市街から少しだけ離れた土地にあるウジュピス。

芸術の街として知られています。

1年に1度だけウジュピス共和国独立の日があり、その日はパスポートが必要になります。

f:id:skafuka:20190321065701j:plain

f:id:skafuka:20190321081517p:plain


ビリニュス大学

こちらは僕が通っていたビリニュス大学です。

世界遺産の旧市街のなかにあり、東ヨーロッパ最古の大学です。

 

この大学は建物が素晴らしく、また図書館、そして本屋さんが本当に美しいです。

f:id:skafuka:20180426002057j:plain

f:id:skafuka:20180426002016j:plain

f:id:skafuka:20190321065556j:plain

f:id:skafuka:20190321065600j:plain

 

コーヒーを豆から挽いて淹れることの素晴らしさを全力で説明する

こんにちは。しんいちです。

 

最近はコーヒーを豆から挽いてコーヒーを淹れることが大好きです。

 

自分でコーヒー豆をガリガリと挽く音

お湯がわき、蓋が跳ねる音

ドリッパーにコーヒーの粉を入れ、お湯を注ぐこと

その香りが立ち上るところ

最初の一口目が口の中に広がること

一息ついて、手元の本に目を落とすこと

 

全部最高で大切な時間です。

 

f:id:skafuka:20190320132029j:plain

 

でも普通に考えたらコーヒーを豆から挽いて、自分で淹れるなんて手間です。インスタントコーヒーの粉を買ってきて、お湯を注げば一発でコーヒーの完成です。自動販売機に、コンビニに行けば温かいコーヒーが100円前後で出てきます。

 

それなのにわざわざコーヒーを豆から挽いて、ドリップして淹れる。

なぜそのようなことをするのか。自分なりに考えてみました。

 

2つ、ポイントがあると思っていて、1つは「味も香りも全く違う」こと、2つ目は「こころが落ち着く」ことです。

 

味も香りも全く違う

 

コーヒーを自分で淹れるメリットはこれです。

まちがいなくこれが最高の理由です。

 

味が違う。香りも違う。

 

いままで自分がスターバックスなどで飲んでいたコーヒーとは比べ物にならないほど、香りが引き立ちます。

 

自分はもともとコーヒー豆を挽いてみたい、と思っていたのですが、きっかけを与えてくれたのはブルーボトルコーヒーの店員さんでした。

f:id:skafuka:20190320130041p:plain

bluebottlecoffee.jp

 

以前、プレゼント用にコーヒー豆を買いに行ったときの話です。

コーヒー豆の粉状のものを買っていこうと思っていたのですが、お店には豆でしか売っていませんでした。しかし、プレゼント用ですし、渡す相手がコーヒー豆を挽く機械(ミル)を持っていなかったら困るので、粉状に挽いてもらえないかと訪ねました。

 

すると店員さんは、挽いてから時間が立ってしまうと味が落ちてしまうため、豆のみでの販売となっています、とおっしゃりました。

 

自分はいままで気にしていなかったのですが、豆を挽いて粉末にした状態になると味が落ちてしまうのか!と衝撃を受けました。

 

確かに参加すると美味しくなくなる、味が変わってしまう、とは聞いたことがありましたが、店員さんがはっきりと断言していたのを聞いて、自分も挽きたてにしようかしら、と考えました。

 

それがきっかけでコーヒーミルを購入しました。

 

買ってみて、コーヒー豆を挽いてみて、

フィルターに入れた時の、

あの沸き立つ芳醇な香りは本当にほんとうに衝撃的でした。

 

コーヒーはこんなに香りが豊かなのか。

幸せな香りがするものなのか。

心が満たされるのか。

 

それほどまでに、挽きたてのコーヒーは最高の香りと、味を提供してくれます。

 

こころが落ち着く

 

もう1つコーヒ豆を挽く時に素敵なことがあります。

それは豆を挽くと心が落ち着いて、瞑想のような効果を感じられることです。

 

ガリガリッと一定のリズムでコーヒー豆が粉状になっていきます。

肝は一定のリズムでひくことで、リズムを変えると粉の大きさが代わってしまい、味が変わってしまうんです。

 

コーヒー豆を挽いて、次はお湯を注ぎます。

 

お湯がコーヒーの粉とフィルターを通して、一滴、一滴とカップに落ちていく。

 

その音もまた、心地よく、抽出されたコーヒーが溜まっていくのを少しづつ、少しづつ待ちます。

 

その時は、日常の慌ただしさを忘れ、ただコーヒーが出来上がるのを待ちます。

 

 

 

 

一見すると、わざわざ手間のかかることをなぜやるのか、と思われるかもしれません。

 


しかし、自分にとってコーヒーを豆から挽いて、淹れるという行為は人生を豊かに、そして満足度の高いものにしてくれるものなのです。

 

 

 

「一遍上人語録」読書会:自分なりのまとめ

こんにちは。しんいちです。

 

昨日は一遍上人の勉強会の第3回でした。 

一遍上人語録 (岩波文庫 青 321-1)

一遍上人語録 (岩波文庫 青 321-1)

 

 

 

仏教の歴史の流れとして、平安仏教から鎌倉仏教にへの変遷があります。平安仏教は貴族の仏教になっていたのに対し、鎌倉仏教は民衆の仏教へとおおきく変化を遂げました。

 

その中で踊り念仏を提唱したのが一遍上人です。

 

「近きもの」を忘るる

 

この世は苦しみばかりだと言います。老後が不安、お金がない、恋人が、会社が。

さまざまな不安が毎日を埋め尽くし、一日中考えてしまったりと枚挙に暇がありません。そのような状態を、「こころ」に囚われている状態です。このような状態のことを「生死」といいます。こころが動き回って、疲れているのに止められない状態です。

 

でも考えるのをやめようと思っても無意味ですよね。

何かをしないようにしようと思うと、余計に考えてしまうのが人間です。突然、

 

「紫色のバナナを考えないでください」

 

と言われたら、今考えましたよね?

 

そうなんです。考えないようにしると、余計に考えてしまうのが人間なのです。

 

では「こころ」からどのように離れるか?

本当によく生きるために「生死」の状態から、目覚めなくてはいけません。

 

「こころ」から離れる

 

しかしよく起こる間違いが、では目覚めるために自分で努力しよう、と意気込むことです。実は、心から離れる方法は自分だけでは達成できないのです。

 

仏教の考え方に「他力本願」というのがあります。

いまだと全部他人任せみたいな言葉に聞こえますが、実際の意味は違います。

私達がこころに囚われているのを見かねて、救おうとする力があり、その力に気づくことで救われる。それが他力本願です。何もしないことではなく、気づく必要があります。

 

ではその救おうとする仏様の力に気づくにはどうすればいいか。

それに必要なのが「念」です。

 

「念」=「刹那」

 

念にはいろいろな意味があるのですが、そこに「刹那」という意味もあります。

一般的には時間は過去、現在、未来へと流れていくと思われています。

しかし、そうではなく、一瞬一瞬死に、一瞬一瞬生まれ変わっているという考え方をします。

 

その一瞬一瞬であれば、こころを悩ませる必要もありません。

 

そして、「声」は一瞬のものです。

声は発せられては、消えていく。ということは、念仏を唱え、その声と念が一つになった時に、「近きもの」に気づけるようになります。

 

それが一遍上人の「踊り念仏」の目指すところです。


念念臨終念念往生
その刹那刹那に死に、刹那刹那に生きる。

 

f:id:skafuka:20190319082953j:plain

 

朝一番のすすめ:朝最初にやりたいことを終えてしまうメリット

こんにちは。しんいちです。

 

今年に入ってからちゃんとブログを書こうと思って、毎日更新をしてきました。

 

そして!

1月1日から毎日ブログを更新していて、3月の半ばまできました。

 

毎日寝る前に書いていたのですが、夜寝る前になにかやることが残っていると、疲れ切って帰ってきた日にも気合で記事を書くことになります。

 

そこで考えついたのが、朝起きたらすぐにブログを書いてしまう方法です!!!

f:id:skafuka:20190318080453p:plain

 

一昨日の記事は朝起きてすぐ、午前6時台に執筆をはじめました。

skafuka.hatenablog.com

 

しかし、昨日は朝早く起きれなかったため、夜寝る前に書くことになりました。

skafuka.hatenablog.com

 

今日は朝起きてすぐに書くことと、寝る前に書くことの違いを書こうと思います。

 

結論としては、「朝一番に書くほうが良い!!」です。

 

・頭がスッキリしている

朝一番は脳のゴールデンタイムと呼ばれています。この時間帯は1日のなかでもっとも集中しやすく、セルフコントロール能力も高い時間です。この時間を活用しない手はありません。

 

どこの文献か忘れてしまいましたが、朝の脳の生産力は、夜の6倍、ときいたことがあります。つまり、圧倒的に朝早起きのほうがものごとを早く終わらせることができます。

また、有名な経営者も早起きしていることは有名ですよね。みなさんが使っているであろう、iPhoneMacBookでお馴染み、りんごのマークのアップル社。ここのCEOテイム・クック氏は朝四時半に起きることで有名です。他にも様々な経営者などが朝六時より前に起きています。

 

・書くのが早い

朝は記事を書くスピードが早いです。これは朝のゴールデンタイムと関係していると思います。

パソコンで書いているので、微妙な表現ですが、筆が乗るという感じです。

 

・達成感がすごい

毎日ブログ更新を課題にしていたので、1日のうちに絶対に終わらせなければいけない課題が朝のうちに終わるというのは最高でした。その日にやらなければいけない、という考えが朝のうちに消えてしまうというのは最高ですね。

 

・夜に課題が残っていないとリラックスできる

また、これは前の「達成感がすごい」とつながるのですが、仕事が終わって夜のリッラクスする時間にもずっと「ブログ書かねば」と考えることになります。

ご飯を作って、洗濯して、という時間も頭の中では「はやくブログを書かなきゃ」と。

 

そうすると全然リラックスできた感じがしなくて、体にとっても良くなかったかな、と感じています。

 

朝一番にやることはメリットだらけですが、なにか問題があるかな、と考えた時に次のことが思いつきました。

・朝一番のスッキリした頭をブログに使うため、仕事の進みが遅くなった

デメリットもありまして、朝一番に簡単な仕事を終わらせていたのですがそれができなくなったことです。

 

しかし、毎日ブログを書くのは毎日のことですし、大切にしたい習慣なので、これは優先順位の問題だと思います。

何かを得るにはまず何かを失わないといけません。

失うという言い方は違くて、なにかが入ってくるスペースを作り出すために、余白を作ってあげる。

 

家でも、生活スタイルでもなんでもそうです。

 

余白を作ることが大事なわけで、余白を作るにはもともと埋まっていた何かを手放す必要があります。

 

・まとめ:朝一番のすすめ

 

朝一番にブログを書き始めてから

・頭がスッキリしている。そのため
・各スピードが早くなった。
・また朝一番でその日やるべきことが終わる。そのため
・夜はリラックスすることができる。それにより
・朝頭がさらにスッキリする

 

という好循環になります。

 

僕の場合はブログですが、

みなさんも何か毎日達成したいことがあったら、朝起きてすぐにやってみる、

を取り入れてみてください。

CONNECTING THE DOTS:プラネタリウムとプログラミング

こんにちは。しんいちです。

 

今日は2つ、体験があって、その2つの体験に共通することがあるように感じました。

1つは昼間にプロのプログラマーの方に、プログラミングの初歩を教えていただいたこと。

2つ目は、有楽町のマリオンで行われている、プラネタリウムを見に行ったことです。

f:id:skafuka:20190318002027j:plain

・宇宙と情報世界の果て

プログラミングを学んでいたときと、プラネタリウムを観ていた時。

そのどちらでも感じたのが、「果てしなさ」でした。

 

プログラミングは情報の膨大な海にダイブしていくような気持ちです。

 

僕の好きな映画に「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」があります。

この映画は名作中の名作なので、是非観てほしい作品の一つです。

 

この作品の中で、メインキャラクターの一人が「ネットは広大だは」と言いながら、ネットの海の中に消えていく、というシーンがあります。

 

このシーンは本当に好きなシーンの一つです。

 

中学生の時はなんとなく好きなシーンだったのですが、

今回プログラミングを学んでいく中で、ネットの情報の広大さを改めて感じました。

 

プラネタリウムでは自分たちが宇宙のどこに位置しているのか、それを映像としてみることができます。

久石譲さんの音楽とともに、惑星から銀河、そして銀河の集合から宇宙の果まで、一気に移動します。

 

僕らのいる地球、そして周りには太陽や火星、土星などさまざまな星があります。それは太陽系と呼ばれるもので、そのさらに広い範囲に銀河があります。そして銀河は私達のいる銀河だけでなく、ほかにもたくさんあるというのです。

 

想像できますか?

 

自分が今どこにいるのか。

広い視点で眺めるとあまりにも広大で、どうしようもないです。

 

自分がその果てしない世界の1点に過ぎないと考えると、少しさびしい気もします。

 

・CONNECTING THE DOTS

 

1点であると考えると非常に孤独な気がしますね。

 

宇宙の中にじつはただ一人のような。

 

 

今日プログラミングを教えていただく中で、データベースについて教えていただきました。大まかにまとめると、ネット上にフォルダーというものがあり、その集合がデータベースです。このフォルダーとフォルダーの情報を繋げて、管理する。

例えば、Aさんと、Aさんの車と、Aさんの家のアドレスと、、、、

という感じで情報を繋げていくわけです。

 

小さな情報でも繋げていけば、なにか意味のあるデータベースになります。

 

つないで、大きな意味を成す。

 

星座もそうですよね。

星と星をつないで、くまやサソリ、そういった何かを見出す。形作る。

 

スティーブ・ジョブズの有名な演説の中で、

「CONNECTING THE DOTS(点と点をつなぐ」と言っていました。

 

彼は自分がカリグラフィーについて学んだことがアップルのフォントの美しさにつながっていると言います。しかし、カリグラフィーを学んだ時に、「パソコンを作るときのためにきれいな字体を習得しよう!」とは思っていなかったと言います。

 

昔熱中した何かが、いつか結びつき、より大きなことにつながる、と。

 

点と点を結び、なにかを形作るのです。

 

そう考えると、別に僕らは孤独であり、同時に孤独ではない。

なにかに紐付いている、つながっているし、そうでなければ生きていけないものだと思います。

 

「人間はポリス的生き物だ」といった言葉に高校生のころは疑問をいだいていました。

結局人間はこどくなんだから、ポリス的人間なんて、綺麗事だ、と。

 

でもいまなら、孤独だからこそ、だと言えます。