Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

【ダンサロンvol.6】 ダンサロン・イン・プログレス【感想】:間(はざま)の多層

こんにちは。しんいちです。

 

本日はダンサロンというイベントに参加してきました。

こちらは私が普段お世話になっている江本伸悟さんに紹介していただいて参加しました。

 

3月30日の14:30・18:00の二部に分かれていて、私は後者の方を観ました。

 

このイベントで特徴的なのは、3組のダンサー集団が演目を披露します。

しかしワークインプログレス、つまり完成作品ではありません。

 

今回は演者のプレゼンテーションの形で、説明が入りながらの観劇となりました。

 

間(はざま)

もっとも印象に残っているのは、「水の線/せんの波」という作品です。

二人が目を見つめ合いながら、「あるく・はしる・とまる」という簡単な動作を繰り返します。彼らは円をかくように周る。

 

どうもその姿が、軌道が惑星のように見え、そこに宇宙が展開されているかのように感じました。

 

そして二人の「間(はざま)」がどうも心地よい。

決して触れることはないけれど、そこに確かなつながりを感じる。

 

ダンスは関係性なのだと、改めて感じました。

 

アフタートークで「リズム」の話が出ていて、そのときに思い出すのは三木成夫さんの語る「宇宙のリズム」と、佐治晴夫さんの「からだは星からできている」も連想されます。

 

軌道、宇宙、リズム、そしてこの身体。

 

そのつながりを、踊りを見ていて再確認しました。

 

幽霊、妖怪、なにかそこに見えないもの

 

他の二組はテーマに共通性があり、それがなにか見えないものや生や死をテーマとしていました。

 

見えないもの、そこにあるはずでないもの、あり得たはずなのに、あり得なかったものの残余。

 

ブルーハーツという僕の大好きなバンドですが、彼らの「ラインを超えて」の一節に以下のようにありあます。

生きられなかった時間や
生きられなかった場面や
生きられなかった場所とか
口に出せなかった言葉
あの時ああすればもっと今より幸福だったのか
あの時ああいえばもっと今より幸福だったのか

 

自分が経験した以上に世界は豊かで、多層的で遂げられなかった思いを厚みとして僕らの生活は成り立っています。

 

いま、ここに見えているものだけ、あたまで理解していることだけではないはずです。

そしてきっとそれはもう体が知っているでしょう。

20世紀科学全盛の終焉

アフタートークでゲストの江本さんは次のように述べました。

20世紀は科学全盛の時代で、人間は世界の全てを理解できると思っていた。

しかしいまやそれは崩れつつある。目視できないもの、感知できないものが今日の公演でテーマになっていたのは興味深い、と。

 

ちょうど今、読んでいた「数学する人生」岡潔、森田真生編(2019)新潮文庫の内容とリンクしました。

 

この本の中に岡潔の西洋自然科学に対する厳しい批判が述べられています。

 

西洋の学問、自然科学が「時間」と「空間」があると思っている。しかし、「時間」と「空間」とは何か全くわかっていない。それでも、「時間」と「空間」があるという前提で話を進めるのが自然科学です。

西洋の学問は全て時間と空間の枠の中にはまっていて、五感でわからないものは取り扱いません。時間と空間の枠の中にあって、五感でわかるものが「物質」ですが、西洋の学問は、物質的自然の中しか調べないのです。

 

「時間」と「空間」が前提にあり、そしてその中で五感の範疇で科学する。

それではやはり取りこぼしが多すぎます。

 

つい先日、東京大学が「第六感」について研究成果を発表し話題にもなっています。

https://www.sankei.com/life/news/190319/lif1903190018-n1.html

 

目に見えないもの、感知できない世界、もしかしたら感知しているけれど気づけない世界。

 

そういったものが改めて必要なことを、すでに身体が知っていることを、ダンサロンの場で感じました。

 

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山縣良和さん主宰「ここのがっこう」のファッションショーより



 

スマホを捨ててしまった日

こんにちは。しんいちです。

 

今朝、スマホを間違えて捨ててしまいました。

 

まさか、こんなことを自分がするとは、本当に謎です。

 

事の発端

今朝、いつもどおり、ゴミ出しをして部屋に戻りました。

 

しばらくしてスマホをチェックしようとして探したところ、手元にありません。

 

どっかにあるかな〜、なんて考えて部屋の中を探しました。

 

そんなに大きな部屋ではないので、すぐに見つかるはずなのですが、

全く見つかりません。

 

もしかして布団を畳んだときに、一緒にしまってしまったかなと思い、

布団を調べるも、空振り。

 

あれ?カバンにしまったままかな??

 

ない。

 

 

 

 

あれ?????????

 

 

 

 

 

急に血の気が引き、部屋中を探し回りました。

この時点ではゴミに出しているとは夢にも思いません。

 

 

なんでないんだろう。。。。

 

 

僕が使っているのはiPhoneなのですが、遠隔操作で音を鳴らすことができます。

 

しかし、いくら音を鳴らしても部屋の中からは聞こえてきません。

 

 

この時点で、もしかして、、、、

と思いました。

 

 

 

この部屋をここまで探して、ない。

 

考えられるのは、、、、今朝のゴミ出しか、、、?

 

 

 

急いでゴミ出しの場所にいくももう姿はありません。

 

 

 

部屋に戻り、再度スマホの位置情報を検索すると、

 

だんだんとスマホが遠ざかっていくのが、パソコンの地図上でわかりました。

 

 

 

あ、、、、やらかした、、、、、、、、、、、、、、

 

 

 

 

とにかくてんぱったので、彼女に区役所に電話してもらいました。

(この時点でスマホのない不便さを感じました)

 

 

ゴミ収集車が集積所に到着する前だったらまだ望みはあるようです。

 

 

祈るように返事を待ちます。

その間にもパソコンの画面上で私のスマホは運ばれていきます。

 

 

 

 

折返しの電話の結果、、、、、、、、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうスマホは取り戻すことはできません。

と言われました。

 

30m以上の高さのゴミの山のなかに埋もれてしまったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに僕のスマホはレインボーブリッジの近くのゴミ集積所に廃棄されていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さよならiPhone、、、、、、、、、、

 

 

 

 

まとめ

みなさん

けっしてゴミ箱に自分の大切なものを捨てないでください。

 

集積所に行ってしまえば最後です。

 

まずはもしかしたら、と思った瞬間にごみ収集を請け負う地域の施設に連絡してください。

 

僕ももっと早く気づいていれば、可能性はありました。

 

僕のようにパソコンの画面上で自分のスマホが集積所に運ばれていくのを見送る人がでないように祈っています。

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リトアニアのリゾート地!ドルスキニンカイの魅力と行き方など

こんにちは。しんいちです。

 

リトアニアの中でも最もリゾート地として名高いのがドルスキニンカイという土地です。その理由は豊かな自然と数多くのスパにあります。

リトアニア国内からだけでなく、アメリカ等からも多くの人が訪れる保養地です。

 

今回はドルスキニンカイの魅力をお伝えします。

 

鮮やかなブルーのロシア正教会

この小さいながらも息をのむようなロシア正教会は、鮮やかな青の印象的な色合いです。教会は1865年頃に建てられ、小さな広場に囲まれています。

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聖マリア教会

1841年から1844年に建てられた、元の構造は最終的に破壊され、1930年代に現在の建物に置き換えられました。

 

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ビジュネレス公園

ドルスキニンカイのダウンタウンに、自然の美しいヴィジュネス公園があります。

夏の屋外散歩、ランニング、サイクリング、水泳に最適なVijuneles Parkは、様々なアクティビティに最適です。 墓地、記念碑、遊び場などもVijuneles Parkにあります。

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ロシア兵の碑

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ホロコースト犠牲者追悼の碑





歴史

ドルスキニンカイは1636年に初めて資料にその名が言及されています。しかし、この資料より以前にも、石器時代にはここに人々が住んでた形跡があります。

 

1794年6月20日リトアニア大公国ポーランド王スタニスワフ・アウグスト・ポニアトフスキー王が、ドルスキニンカイを保養地として決定しました。

それまで、ドルスキニンカイは普通の村でした。 1837年にヴィリニュス大学教授Ignatius Fonbergがこの土地のミネラルウォーターの化学組成の研究を行い発表した後、ロシアの皇帝ニコラス1世はドルスキニンカイにリゾートの設立するプロジェクトを承認しました。

19世紀の中頃 - 20世紀の初めはリゾートの繁栄の時代であると考えられています。ドルスキニンカイだけでなく、塩分を多く含んだ泉、泥を使った治療の場にもなっただけでなく、娯楽の場にもなりました。

コンサート、演劇、ダンスの公演がここで行われました。 1924年から1939年にかけて、さまざまな保養施設が運営されました。今日では、Druskininkaiは国際的にミネラルウォーター、泥と気候の良いリゾート地として有名です。

 

アクセス

基本的にはバス、もしくは車でアクセスが可能です。

 

バスの場合、リトアニア国内の主要都市ならばどこからでも行くことができます。

こちらのサイトからバスを検索することができます。

https://www.autobusubilietai.lt/

 

 

「サヨナラだけが人生だ」

こんにちは。しんいちです。

 

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ここ数日は大学の卒業関連で会うのが最後になる人がたくさんいました。

 

また、仲のいい友人も、もう大学に行っても会えません。

授業に行けば、大学に誰か気のしれた友だちがいる。

 

そのような関係は終わりを告げてしまいました。

 

最後の別れを惜しむ気持ちはあるものの、僕はなんとなく気楽な気持ちもありました。

 

人生の中でまた会えるだろう、と。

 

地球上のどこかで生きていてくれれば、いつでも会えるという気持ちです。

 

不思議とそのような確信があるのです。

 

もしくは人生に別れと出会いがあるということはどうしても避けられないのだという、その事実を受け入れている面がります。

 

これは大学の先生が、卒業生に向けてのはなむけの言葉として送った言葉ですが、

「サヨナラダケガ人生ダ」という井伏鱒二さんの言葉が有名です。

 

道元がまさに今を生きて、一遍上人が一瞬一瞬に死んで、そして生まれると言いました。

 

仏教思想の持つ無常観というのは、本質的なものです。

 

中学生の時に読んでいたけどまったくわからなかった哲学や文学は、23歳になった今、より身近に、浸透しつつあります。

 

「わかれ」とか人生の節目のような、そういうものを考える時に哲学はより身近にやってきます。

 

 

話は変わりますが、人との別れは縁でつながっていると思いますが、「物」との別れはどうでしょうか。

 

就活した友人はみんな研修や移動で、今まで住んでいた場所から離れることを余儀なくされています。

 

そういうときに、今まで持っていたものを手放すことになります。

 

普通に考えれば、どれもこれも思い出深く大切だな、という気もしますが、

物がなくなることでより快適になるということもあります。

 

例えば、私事ですが、最近引っ越しをしまして、その時に大部分の本を置いていったのです。そうすると、今まで滞っていたものが流れ出すようなスッキリとした感覚がありました。

 

また、これはヨーロッパをバックパッカーしていたときにも感じていたのですが、物が少ないほうが圧倒的に移動できます。

 

その身軽さを持っていることは多動の時代に非常に重要なことです。

 

技術が進歩して、地球の反対側まで1日以内で移動できるようになってきました。

 

だから、いま、一時的に離れ離れになったとしても大丈夫です。

荷物少なく、身軽であればどこにでもさっといけます。

 

1日あればあなたに会えます。

 

だから心配しないでください。

世界で生きている限り、どこかでいつでも会えるでしょう。

 

 

 

言葉の責任:そしてヨロコビについて

こんにちは。しんいちです。

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この2日間、久しぶりに大学の友達と会いました。
その内の何人かが、ブログ読んでるよ、と言ってくれました。

 

いままで自分のブログはもやっとした不特定多数の人にむけて書いていました。というよりもむしろ、自分の感情をただそこにさらけ出すような記事の時もあります。

 

しかし、今回面と向かって「読者」というものに出会いました。


自分の言葉や考えが誰かに届いているという感覚がより明白になりました。


自分の言葉というものが、自分の文体を通って誰かに伝わるということに、少し怖気づきました。

 

例えば、自分の文章が意図したのとは違う形で伝わってしまうかもしれない。もしかしたら、自分が発した言葉が誰かを傷つけてしまうかもしれない。

そう思うと自分が発する言葉の責任を考えずにはいられません。
言葉の責任について、少し考えました。

 

ただ、誰かを傷つけない言葉、誤解されない言葉、そういう言葉を書こうと思っても結局は不可能なのだとゆう考えに至りました。

もちろん、相手を配慮するという考え方を前提としながらも、どこかで諦めるラインを決めておく。

 

昨日は卒業式だったので、コースの先生からはなむけの言葉がありました。
その中で「諦めなさい」という言葉がありました。諦めるという言葉は、一見すると、何かを途中で諦めるような悪いイメージがあるかもしれません。

しかし、ほんとうの意味を勉強したわけではありませんが、森鴎外が「諦念」といったように、また夏目漱石が「則天去私」といったように、一遍上人が「念念臨終、念念往生」といったように、本当はもっと広範なイメージを持った言葉です。

まだまだいろんなことが諦めきれないままではありますが、まずは精一杯自分の言葉と向き合っていくことをやっていきたいと思っています。

そして、立ち現れた質感のある読者にどのように言葉を届けていけるかどうか。

改めて気の引き締まる数日間でした。

 

 

 

 

卒業式

こんにちは。しんいちです。

 

今日は大学の卒業式がありました。

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別れる時にいつもみたいにバイバイ!って言うんですけど、その感じがなんか違って。

東京にいる人はまだ会いやすいですけど、地方に行ってしまう人もいます。環境がかわります。

 

もう前みたいに大学に行けば会える
という関係はなくなってしまうのです。

 

わたしは卒業していません。
みんなとは少しタイミングがずれています。

サヨナラをしてから、みんな、ゼミやサークルの仲間と飲みに行くと言っていました。

わたしは仕事に向かいました。

 

自由に生きるというのは、傍から見ると理想的かも知れません。しかし、同時に社会の流れから外れるということでもあります。

そういう時に寂しさを、感じます。

 

自分がどこにも所属できていない感じ。

 

帰り道に自転車に乗って、しばらく走るとどんどんと悲しくなって行きました。

もう別々の道を歩き始めたんだな、と。

留学して、帰ってくる時も思いましたが

どこかに所属すると、仲間ができると、大多数の人とは離れ離れになります。

もしかしたら、付き合いが続いていくかもしれません。でも、大学生として、大学に行けば会えた仲間という、関係性はもう卒業しました。

 

社会がどうなっていくとか、世界がどうとかそんなことよりも、身近に大切な仲間がいることを感じます。

 

彼ら、彼女らの道行が幸多い物になりますように。

そう願います。

杉原千畝で有名!リトアニア第二の都市カウナスで行くべき場所と行き方を完全網羅!

こんにちは。しんいちです。

 

今日はリトアニアの第二の都市カウナスで行くべき観光地と、カウナスへの行き方をご紹介いたします。

 

カウナスの観光地

 

カウナスは観光地!という感じではありません。

すごく素敵な街並み、温かい人々、という素朴な美しさがあります。

 

また、杉原千畝という日本人でも有名です。

 

(あと、これは完全に余談なのですが「悪魔博物館」という謎の博物館もカウナスにあります。)

 

以下の写真は旧市街の様子です。

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カウナスの中心にある教会

こちらの教会はロシア正教の教会です。リトアニアは20年ほど前くらいまで、ロシアに占領されていた歴史があります。当時の占領国の教会が一番大きい教会というのは考えさせられます。

杉原千畝で有名

みなさんは杉原千畝という日本人についてご存知でしょうか。

彼は第二次世界大戦中に在リトアニア領事館大使として、ここカウナスに赴任。

当時はナチスドイツによるユダヤ人虐殺(通称ホロコースト)が行われており、ドイツ、ポーランドから逃げてきたユダヤ人がリトアニアに押し寄せてきていました。

 

当時、ユダヤ人がロシアを通ってドイツから逃げるためには日本のビザが必要でした。

 

いっぽう当時、日本はナチスドイツと同盟を組んでいたためユダヤ人にビザを発給することはできない状況でした。

しかし杉原千畝は自分の責任においてユダヤ人にビザを発行。およそ6000人以上のユダヤ人の命を救ったと言われています。

 

その彼の功績をたたえ、彼の宿泊したホテルや、駅に彼のレリーフが残されています。

また、彼の働いていた領事館は「杉原ハウス」として開放されており、当時の様子を味わうことができます。杉原ハウスで働いているリトアニア人のスタッフのみなさんは、非常に熱心に彼について学んでおり、日本語を流暢に話せるスタッフさんもいました。

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杉原ハウスについてはこちらのリンクから公式HPに飛べます。

http://www.sugiharahouse.com/jp

 

芸術の街

近年は芸術の街として発展しており、2020年のヨーロッパアート都市に認定されているようです。

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行き方

カウナスに行くには、首都ビリニュスから行く必要があります。

 

所要時間は電車で2時間ほどです。

 

行き方はバスと電車の二通りがあります。

 

バスは本数が多く、20分おきくらいには走っていた記憶があります。

電車は本数は少ないものの、Wi-Fiが通っていたり、座席が広く快適なのもあっておすすめです。

 

電車は大人料金で4.8ユーロ、日本円だと500円弱です。

やっぱりリトアニアは安い。

 

電車

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かわいい赤い電車にのっていきます

個人的におすすめなのは電車です。
理由はWi-Fiがあることと、座席が広いこと、快適なことです。

バスは少し狭かったりするので、電車が好きです。
しかし、電車は本数が少ないので気をつけてください。

 

駅で買ったチケットは絶対に降りるまで捨てないでください。

車内で車掌さんがきっぷをチェックします。

 

レシートみたいにペラペラなので、すぐに捨ててしまいそうになるのですが注意です。

買い直す羽目になります。

 

実際に僕の友達もまちがえて捨てて、再購入になりました笑

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少し見にくいですが、電光掲示板にKAUNAと書いてあります。これがカウナスです。

 

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ビリニュス駅で買ったコーヒーと共に

 

バス

バスはあまり使わないので、写真がないのですが、バスのほうが頻繁に出ています。

ビリニュス駅の対岸にバスステーションがあり、中にある券売所でチケットを買います。5つくらい窓口があり、そこにいる人に土地名を言えば、バスの時間を教えてくれます。

バスに乗る時に運転手さんがチケットを確認するので渡してください。

 

カウナスについたら

カウナス駅もバス停も市街地からは少し離れています。
歩けない距離ではないですが、30分から1時間程度歩くことになるので、地元民の交通の足、バスを利用した方が良いと思います。

 

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久しぶりに調べたら中心となる教会まで5,14,15,23,29のバスで10分でしたね。

バス停からも同じバスで行けたと思いますが、確認は各自でしていただけるとありがたいです。

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この教会です

 

まとめ

いかがだったでしょうか。カウナス杉原千畝がいた場所として、日本人に非常に人気です。また街並みも美しく、アートも栄えているところからヨーロッパでも注目する都市の一つと言えるでしょう。

みなさんも機会があれば訪れてみてください!

旅するリトアニア

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