「塩一トンの読書」須賀敦子
みなさん
こんばんは
遊牧民的定住者シンイチです。
今年は読んだ本についても紹介していこうかなと思っています。
今回はこちらです。
須賀敦子さんは随筆家でイタリア文学者です。1929年に兵庫県に生まれ、1953年からパリ、ローマに留学し、その後イタリアに在住。1971年に帰国、上智大学で教授の職につき、1998年に逝去。
本書巻末の短い経歴を更にまとめるとこんな感じでしょうか。
須賀敦子さんの文章を読むのは実際初めてでした。
彼女の翻訳した作品は何度も読んだことがあ流のですが。
例えば、私が海外の文学に興味を持つようになったきっかけの作家。アントニオタブッキ。
本書でも紹介されいるタブッキの「インド夜想曲」などはの翻訳です。
タイトルにある「塩一トン」という言葉の意味は巻頭で語られます。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
という結婚初期に姑さんに言われた言葉からだそうです。
一トンの塩というと途方もない量。つまり一人の人間を理解するのはそれほどに難しいことなんだと。このタイトルの由来だけでも著者の人間に対する温かい眼差しを感じることができます。
本書は須賀敦子さんが読んだ本について、一冊一冊独特の視点から紹介するものです。
本編の中で特に面白かったのが、
谷崎潤一郎『細雪』と関川夏央『砂のように眠るーむかし「戦後」という時代があった』の二つの章。
まず、谷崎氏の『細雪』。
『細雪』の二人の登場人物が「ものがたり」と「小説」という二つの作法に乗せて区別して描かれているという。「ものがたり」は浮き沈みの少ない平坦な日常で、「小説」は高低のあるドラマチックなものだ。日本人的性格の雪子に「ものがたり」を、西洋人のような妙子に「小説」を当てはめたのだ、と。
谷崎潤一郎の「細雪」はまだ読んだことがないので、本当にそのような構造なのか読んで見たくなりました。
読んだことがある方は、本当にそういう構図になっているのか教えて欲しいです。
もう一つの関川夏央『砂のように眠るーむかし「戦後」という時代があった』については、印象深かった一節をそのまま引用しましょう。
「著者がこの本を書き終えて二年目の一九五五年、阪神地方を襲った大震災がそれにつづく暗い時代の予兆でもあったかのように、日本人は、自分たちの国が、世界の中で確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、なにを忘れてきたのだろう。なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答は、たぶん、簡単には見つからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答をみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。」
最後に、青柳裕美子氏のあとがきに、須賀敦子さんが言っていた言葉が乗せられている。
"Find your voice."
直訳すれば
「あなたの(心の)声を見つけなさい」
()は私が勝手に入れました。
自分が何者でどういう方向に進んでいくのか。
それすらもわかりにくくなった時代に、
それこそ「なにをないがしろにしてきた」かわからない時代に、
"Find My Voice"
自分の出したい声をみつけることが大切になってくるかもしれませんね。