Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

「初心」とは赤子が世界を見ることだ

みなさん

こんばんは

 

遊牧民的定住者シンイチです。

 

 

「初心」ということについて語った記事を見た時に、

ちょうど最近「初心」的な体験をしたなたと思って書くことにしました。

www.lifehacker.jp

 

 

「初心」とは

 

サイト本文で「初心」は以下のように説明されています。

 

これは禅宗における初心の考え方で「初心」と言われているものです。基本的に初心とは、ある世界の入口に立った時、自分に慢心がないかを確認し、慢心があればそこに置いていく、という意味です。そのことに関する予想や自分の意見は捨て、無心になってそれに取り組み、心を開き、常に学ぶべきことがもっとあるということを理解します。

 

 

能楽師の安田登氏は次のように「初心」を説明していました。

リトアニアにいるため手元に書籍がなかったのですが、ちょうど同じ部分を取り上げてブログに書いていらっしゃる方がいたので、そのまま引用させていただきます。)

 

初心の「初」という字は「衣」編と「刀」からできており、

元の意味は「衣(布地)を刀(鋏)で裁つ」。

すなわち「初」とは、

まっさらな生地に、初めて刀(鋏)を入れることを示し

「初心忘るべからず」とは

「折あるごとに古い自己を裁ち切り、

新たな自己として生まれ変わらなければならない、

その事を忘れるな」

という意味なのです。

(安田登著 能 650年続いた仕掛けとは 新潮新書 より抜粋)

*1

 

 

世界を見る赤ん坊

 

先日、私は初めて親戚の赤ん坊に会いました。

この手に抱きました。

 

 

今まで言葉で学んできた命の尊さがそこに現前していました。

 

宮沢章夫氏が「子どもたちは未来のように笑う」という劇で語ろうとしたこと。

『子どもたちは未来のように笑う』|公演履歴|公演案内|青年団公式ホームページ

 

そして赤ちゃんのことをなぜ「みどりご」と呼ぶのか。

 

なんとなく言葉で理解したつもりだったものが、目の前にありました。

 

 

その赤ん坊が、両親のことをジーーーっと見つめていたのです。

 

彼は世界をどのように認識しているのだろうか。

世界はどのように見えているでしょうか。

 

美しいでしょうか。滲んでいるでしょうか。

 

ただ確かなのは、

 

この世界は彼にとって驚きと新しさに満ち溢れているはずだ

 

ということです。

 

 

安田氏の説明に乗っかるならば、

「布」とは「世界」のことであり、

「刃」とは「世界を切り分けていくもの」です。

 

 

赤ん坊は今まさに、目の前の世界に没入し、世界を認識しているのです。

 

私たちは「初心」をどこかで見失った

 

赤ん坊を見た時、私はふと我が身を振り返りました。

 

自分がいきている限り、同じ瞬間は一瞬もありません。

世界は常に高速で更新されているのです。

 

 

であれば、常に驚きと感動を持っていられるはずなのです。

 

しかし、私たちは日常に退屈しています。

同じことの繰り返しだと。

 

一体いつの間にそのような感性が失われてしまったのでしょうか。

 

「初心」を思い出す

 

赤ん坊との出会いから、私は世界の味方が変わりました。

 

常に身の回りは新しく目まぐるしく流動していること。

周りは私の鏡であること。

辛いことや悲しいことも、何か必要な時だったんだということ。

諦めて委ねるということ。

 

これが「初心」に当たるのかはわかりませんが、

今持っているこの感覚を大事にしていきたいと思っています。

 

 

ではまた

 

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