Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

季譜 flower-notes 1「墾(は)る」より:春の生と死

こんにちは。しんいちです。

 

本日は「季譜 flower-notes 1「墾(は)る」(piano 平本正宏 × flower 塚田有一)」に参加してきました。

http://onshitsu.com/2019/02/09-233126.php

 

 

代官山という土地に、ひっそりと存在する小さな音楽室。

プライベートな空間に、上質なピアノのメロディ。

そこに立ち上る植物の光景がとても印象的でした。

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花を愛でるということ

 

季節は春。生命が眠りから覚め、顔を出す時期です。

同時に喜びの季節でもあります。

 

僕はリトアニアにいました。

あの国の冬は気温ー30度まで行きます。

そんな気温だともうそとにでたくないし、太陽なんてしばらく見れません。

文明が発展していない昔だったら、死者すら出ていたであろう気候。

 

そんな寒さの中にいると、春の暖かな日差し、ほおを撫でる春の香りに

魂が震えるほどの喜びを感じます。

 

そうなのです。春は生命にとって喜びの季節です。

 

しかし生命が発るということは、生命が果つることでもあります。

そういう意味できっとTSエリオットは、「春は残酷な季節である」といったのかもしれません。

 

みなさんは、花を見るときに心が震えますか?

一輪の花がかすかに開いたのに、喜びを感じますか。

 

花咲う

 

今朝、ベランダにあった椿の蕾が微かに開いていました。

太陽の光をいっぱいにあびて、こちらを向いている花をしばらく見つめました。

 

そうすると花はなんというかこう、話しかけてきているのでは、という気がします。

そこにありありと生命を感じるのです。

 

春といえば桜ですね。

 

桜の季節になると、いつも散り際が美しいと感じます。

満開の桜よりも、死んでいく散り際が素敵です。

 

そう考えると、植物にとっての死とはいつなのでしょうか。

気になりますよね。

 

木が朽ち果てたときですか。花びらが散るのは違うのでしょうか。

どうも生死というのは曖昧なもので、循環するだけのものとも言えるかもしれません。

 

1つ前

 

今日は東日本大震災の3・11の1日前でした。

 

ピアノは染み渡るようなリズムを奏で、花はそれに共振するように揺れ、景色が立ち上がっていきます。

今そこに、春が発ちのぼって、そして生死が同時に生まれます。

 

でもこの時だけは、喜びに揺れていました。

 

花は、植物は激しく震えていました。

 

311の前に。