かすかな兆し:花とプログラミング
こんにちは。しんいちです。
今日は2つの出来事がありました。
1つ目はプログラミングを教えていただいたこと。
2つ目は花のみち、という花の教室へ行ったことです。
プログラミングと身体
サーバー、ドメイン名、IPアドレスなど一度は聞いたことがある言葉かもしれません。
自分はWordPressでサイトを作っている途中なので一連の言葉は聞いたことがありました。(ちなみに今月中にはてなブログからWordPressに移行します。引き続き移行先サイトでもご覧になっていただけたらと思います。)
しかし、漫然とWordPressの解説方法に全部したがってサイトを作った私にはそれぞれの言葉が何を意味しているのか全くわかりませんでした。
しかし今回勉強させていただいて、つながりが分かるようになりました。
詳しくはまたの機会にしたいと思うのですが、
今回の勉強で一番感じたのが
プログラミングを学ぶということは「文法」を学んでいるな、ということです。
プログラミング「言語」なので、当然そこに文法はあるわけなのですが。
例えば、it~that~という構文のときに、that以下が主語なのに、長すぎるからitwとりあえず前に置いて、後からせつめいする、みたいなやつです。
これと全く同じような構文がありました。
そしてそこから発展して、どうやらPCやプログラミングの設計はどうやら人の構造がベースになっているようだと学びました。
脳の仕組みとインターネット環境など。
そう考えると、人間は何かを作り出すときに、まずは知っているものを参考にしているようです。
脳を自然界の一部だと認識するなえらば、
人間がPCなどを作るときに、脳を参考にしたように、
すべてのものはどこかに自然を反映しているものだと言えると思います。
ガウディは自然を参考にするのが巧みな人でした。
彼は、例えば蛇の背骨の構造を天井の設計に使ったりしています。
また、彼の設計したサグラダ・ファミリアも、あらゆるところに自然の造形が隠れています。
花のみちへ
そんなことを考えて、今日は花のみち第一回目でした。
プログラミングの世界からずいぶんひとっ飛びしてきたかもしれませんが、意外とそうでもない気がします。
東京に住んでいると植物や花に触れる機会は殆どありません。
今みたいに花見の時期はその派手さから、目に入ってくるものですが、
桜だけではなくて多様な植物群が花を咲かせ、緑を燃やしています。
先日、千鳥ヶ淵を歩いたときに、突然感じた緑のむせかえるような匂い。
部屋に植物を置いておくことで四季を感じることは、都会で暮らす上で、少し生活を豊かにする工夫です。
花が咲いて、それを見ること。
そこに対してどのように感じるか、そこに2種類の考え方があります。
1つが「事実ベース」もう一つが「感情ベース」です。
少し詳しく説明します。
桜が咲いているのを見たときに
「花が咲いてる」と思うのが「事実ベース」
「花が咲いている」のを見て、そこから「過去の思い出」や「未来の兆し」、「好きな人」、さまざまな背景が豊かに沸き起こる「感情ベース」です。
どうも最近の人はあまりにも「事実ベース」なのではないかと感じています。
多分一瞬、いろいろなことが頭を過るはずです。
しかし、スマホや広告、いろいろな情報が溢れる世界で、それらの「背景」はあまりにもかすかすぎます。
かすかな兆しすぎて、感知され得ないもの。
しかし、花に触れ、歌人が花について読んだ詩を聞くと、
彼らの「感情ベース」で豊かな感じ方に驚きを隠せません。
プログラミングから花まで、全てが実は「かすかな来歴」にふれる、
その緒なのだと感じました。