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こんにちは。しんいちです。
今日昼頃にパソコンを開いた所、東日本大震災の時間でした。
しばらく黙祷を捧げたあとに、YouTubeで当時の動画を観ました。
いつも震災を思い出すと、いろいろ考えます。
命のこととか、原発のことなどです。
沈黙の気泡
佐々木中さんという哲学者の方がいる。大学で何度か授業を受けた。
彼は「仝(どう)」という本の中で、震災についてふれた。
仝: selected lectures 2009-2014 (河出文庫)
- 作者: 佐々木中
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/02/06
- メディア: 文庫
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当時、震災の直後にメディアは悲惨さを伝え、清水寺は今年の漢字に絆と書き、アーティストは歌を書いた。しかし、佐々木氏は語るべきではない、と主張する。
アウシュビッツを語ることなかれ
第二次世界大戦中にナチスドイツによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストが起こった。
私の大学での専門分野はこのホロコーストである。
この出来事はあまりにも悲惨な出来事であり、人間により人間の生命の尊厳を奪う自体が発生した。
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」
アドルノ「文化批判と社会」(『プリズメン』ちくま学芸文庫 36頁)
アウシュビッツの被害者がどのように悲惨な経験をしたか。
それを語ることはできない。ホロコーストについて語ることは、現実に日が言い合った人侮辱しているのと変わりない。そう語る人も現れた。
有名な映画「シンドラーのリスト」も、ホロコーストを軽薄なドラマにしてしまったと、批判をする識者もいる。
311をどう扱うか
私はいまだにあのできごとについて説明することはできません。
というかやはり、津波に飲まれた、故郷を奪われた人の苦しみは東京にいたわたしにはわからないのです。
「語り得ぬことには沈黙せねばならない」。