Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

「母の日」の日付は世界中で違う?!

こんにちは遊牧民的定住者シンイチです。

 

スウェーデンにいます。

ちょうど昨日は「母の日」でしたね。

 

なんとなく気になってグーグルで調べてみたら、、、、アレ?

 

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5月27日やん!?!?!?

 

なんで日本と違うの?

てか世界中で「母の日」って違うんか?

 

と、気になったので調べてみました。

 

wikipediaさんによると、、、、

母の日(ははのひ)は、日頃のの苦労を労り、母への感謝を表すアメリカでは以下のアン・ジャービスへの教会での追悼にさかのぼり、5月の第2日曜日に祝い、日本もそれに倣っているが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。 

 

だそうです。

結構国によって違うんだなぁ、と思って

さらにスクロールして行くと、、、

 

 

 

 

_人人人人人人_
> ?!?! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

 

 

 

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おおくね!?

 

はい、そうみたいです。

世界中で「母の日」は違うみたいですね。。。。

 

なぜそうなったのでしょうか。

 

基本的に始まりはアメリカのようです。

 

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]。ーwikipedia

 

アメリカから始まった「母の日」が商業目的含めて様々な目的で他の国に伝わっていきました。土地ごとの宗教や文化と絡まっていく中で、内容や日付も変化していったそうです。

 

例えば、もともと母を讃える習慣があった国は、そこにアメリカ由来のカーネーションの花やギフトの文化を加えていったそうです。

 

 

「母の日」とは割と最近にできたもので、商業的な面も含めて世界中に自由な形で定着したものと考えてよいでしょう。

 

いや、それにしても統一感なさすぎでしょう、、笑

 

ではまた。