Lithuania Note

2018年7月にリトアニアから帰国。再びヨーロッパに戻り、そこで生活していくための過程を公開します。2020年にリトアニアに戻る予定。目指せ!海外移住!場所にとらわれない働き方!

#ミニマリストと#minimalist:インスタグラムより

こんにちは。しんいちです。

 

先日インスタグラムをなんとなく観ていた時に面白いことに気づきました。

「#ミニマリスト」と「#minimalist」でトップの表示される画像の雰囲気の違いです。

 

ミニマリストと#minimalist

まずはインスタグラムで検索して表示された画像をいくつか観てみましょう。

 

こちらが「#ミニマリスト

f:id:skafuka:20190316073324p:plain
f:id:skafuka:20190316073451p:plain


こちらが「#minimalist」です。

f:id:skafuka:20190316073424p:plain
f:id:skafuka:20190316073350p:plain

 

もちろん僕の普段の使用データから画像を参照して、検索した画像も僕の好みに合わせた変更がなされているとは思いますが、それにしても結構印象が違うなと思います。

 

・日本は文字情報が多い

・日本はノウハウという感じで、海外はスタイルと言う感じ

 

これは普段から思っていたのですが、日本語でミニマリズムと検索して出てくる画像って、

 

モノを減らしました、こんな方法です!みなさんも部屋をすっきりさせてハッピーになりましょう!

 

みたいなノウハウを感じます。

 

一方で海外のminimalismは自分の美意識やスタイルを求めている感じです。

実際に海外の写真のほうがカラフルだし、物が多い気がしませんか?

 

これは大きな違いだと感じています。

 

別にミニマリズムは白黒でものがない状態じゃなくても良い

 

海外の#minimalismは色彩豊かで、ものも多いということがわかりました。

 

ここで考えると、ミニマリズムの考え方の違いというのが気になってきます。

 

 

以前からインスタグラムで出てくるミニマリズムには違和感を覚えていました。

 

きっかけは海外に住む親戚の家を訪ねたことです。

彼らの部屋は物が多いけれど、とても居心地のいい空間でした。

 

「物が少ない」ことが美しさの条件だと思っていた僕にとってこれは衝撃的でした。

 

物が多いけれど、シンプルに見えたからです。

 

デンマークの考え方:「ヒュッゲ」

 

これは「Hygge(ヒュッゲ)」という考えに出会った時に納得に変わりました。最近本屋さんでもたまにめにする「ヒュッゲ」ですが、これはデンマークなど北欧の考え方です。

 

デンマ ーク語の 「ヒュッゲ 」とは 、名詞であり動詞でもあり 、なかなかうまい訳語が見つからない言葉です 。もっとも近いところで 「居心地のよさ ( c o z i n e s s ) 」が挙げられます(中略)自分の好きなものに囲まれて過ごし 、その時間をいつくしむ暮らし方 。家の中で過ごすことを 1日のせわしないル ーティンのひとつとしてとらえるのでなく 、その私的な 、自分だけの時間を意識的に楽しむこと 。ー引用元:

Hygge(ヒュッゲ) 北欧生まれの「世界一幸せなライフスタイル」実践法

Hygge(ヒュッゲ) 北欧生まれの「世界一幸せなライフスタイル」実践法

 

 

この本の著者が以下のように述べています。

でも 、ミニマリズムを実践している間ずっと 、私は何かが足りないような気がしていました 。私にとって身近で大切な 、ある種の安らぎやあたたかさ 、 「心地いい 」という感覚 。それは 、モノを減らして空っぽのアパ ートに引っ越しても得られなかったものでした 。

 

そう考えると、

海外のミニマリズムは「自分の好きなものだけに囲まれ、居心地の良さを求める」のに対して、日本のミニマリズムは「ものを少なくして、生活を便利にする方法」です。

 

ミニマリズムの根本はあくまで、居心地のいい暮らしを求めることなのに、日本は居心地のいい暮らしをするための方法の一つとしての「ミニマリズム」が目的になっています。つまり手段が目的化しています。

 

日本のミニマリズム

でも、日本のミニマリズムって本当はこんなものじゃない、と思ったので少し考えていました。

 

江戸時代の人は荷物が風呂敷一つに収まったと言いますし、江戸時代の旅の荷物など検索してみるとものすごい少ないです。

 

お寺や禅のお庭もそうですね。

何かがないぶん、豊かになる感覚。

 

f:id:skafuka:20190316081313j:plain

 

 

それがミニマリズムと言われるかは微妙なところですが、きっと日本人がもともと持っていた感性が、あるはずです。

リトアニアに行ったら買うべきお土産3つ

こんにちは。しんいちです。

 

旅行に行ったらお土産を買う人は多いのではないでしょうか。
友人や家族に、どんなプレゼントが良いかな、なんて悩むのも旅の醍醐味の一つですよね。

 

私はリトアニアというヨーロッパの国に留学していました。

リトアニアってなんだろう、という人のために、こちらにまとめてありますのでよかったら御覧ください。 

skafuka.hatenablog.com

 

今回の記事ではリトアニアに行ったら外せないお土産をご紹介したいと思います。

 

リネン

f:id:skafuka:20190315230520p:plain

 

リネンはリトアニアの特産品の一つです。国内には大小様々なリネン工場があります。特に首都のビリニュスにはいたるところにリネンやさんがあります。

ビリニュスの旧市街には露店が並んでおり、そこで買うこともできますが、品質的にはLinen Talesがおすすめです。

ビリニュス市内に二軒お店があります。

www.linentales.com

リネンのタオルやスカーフは小さくてかさばらないですし、お土産にぴったりだと思いますよ。また、私はリネン製のシャツを買いました。これは非常に柔らかく、肌触りもよく快適でした。

 

琥珀

琥珀は樹木から出た樹液が化石になったものです。
樹液が滲み出て固まり、堆積し、数百万~数千万年という長い時間を経て化石化したものです。

f:id:skafuka:20190315231006j:plain

バルト海全域において琥珀は有名な特産物になっています。

エストニアラトビアリトアニアバルト三国全てで購入することが可能です。

しかし、リトアニアバルト三国の中でも一番生産量が多く、街中にもたくさんの琥珀ショップがあります。

 

首都ビリニュスでもちろん買うことが可能なのですが、個人的にはビリニュスから電車で一時間ほどの距離にあるトラカイというところで買うのがおすすめです。

 

トラカイはビリニュスから電車ですぐの場所にあります。

湖の真ん中の島に赤レンガの城があり、まるでドラクエの世界みたいだ!と最初は思いました。

その美しさから、観光客や地元の人々に人気の場所です。 

トラカイについてはこちら 

skafuka.hatenablog.com

シャコーティス

f:id:skafuka:20190315230548j:plain

リトアニアの伝統的なお菓子、シャコーティスです。

味や作り方はバウムクーヘンに似ています。

 

この商品はとても人気で、街中のスーパーならばどでも買うことができます。

小さいものから大きいものまで様々で、空港の売店では小さいサイズのシャコーティスを購入可能です。

最後に空港で一品買うとしたらこれですね。

リトアニアで買うべきお土産

以上観てきましたように、リトアニアには様々な特産品が存在します。特に

・リネン
琥珀
・シャコーティス

の3つは是非チェックしてみてください。

 

ちなみに日本でもリトアニアの上質な製品を購入することが可能です。
東京にあるLTShopは実際に店主の方が、リトアニアからさまざまな美しい製品を直接輸入しています。

もしお近くに用事がありましたら、足をお運びください。

LTshop

 

リトアニアについて知りたい方はこちら

旅するリトアニア

旅するリトアニア

 

 

リトアニアを旅行の際にホテルを取るならトリバゴがおすすめです。

国内&海外ホテル予約『トリバゴ』

歩く時間:歩かない時間

こんにちは。しんいちです。

 

最近は1時間以内の距離なら歩くようにしています。

そうするといくつか心境の変化があったのでここに書きます。

 

 

・今までは早い方が良かった

今までは電車の方が早いし効率的だと考えていました。また、電車の中で本が読めるのでその分時間が有効活用できる、と。

実際に電車の方が家を出る時間がゆっくりでよくなったり、疲れなかったりメリットが多い気がします。

 

しかし私は電車、特地下鉄がそこまで得意ではないようで、地下よりも外の方が安心します。

 

また、以前は仕事→電車で読書→仕事

 

という順番の時も、読書と仕事にあまり身が入らなかった記憶があります。

 

・そんなに色々やらなくてもいい

そもそもそんなに色々やる必要もないのです。人間が1日にできることはある程度限られています。

 

人類の歴史を振り返ってみると、石を削って槍を作り、狩をしていた時代からは随分と遠くまで来ました。農業革命が起き、産業革命がおき、機械が人間の仕事を変わるようになり、いまはインターネット革命です。どんどん便利になり、人がやるべきことは減っているはずなのに、その分の時間までやることを増やしていては、いつまでたっても落ち着くことはありません。

 

便利になったからこそ、やることを減らしていくことが大事なのです。

岡本太郎さんは、人生は積み減らしだと言っていました。

実際のイメージだと人生が積み上がっていくものな気がしますが、減らしていくものなのだそうです。

たしかに、人間は年老いていくごとに食べる量が減り、できることも減っていきます。

 

どんどん増やしていては持ちません。

 

・歩くことのメリット

体の使い方が少しわかる

長時間歩くようになってから体の感覚が少し変わりました。体のどの部分が動いていて、どうすれば力が入らないか。そんな工夫をしながら歩くだけで、歩くのが楽しくなってきます。

 

有名な資産家は1日30分以上の有酸素運動

また、運動は体だけでなく脳にもいいとされています。運動することで、リラックスできて、頭もスッキリします(コツはイヤホンをつけず、スマホをみないことです)。有名な資産家は毎日30分以上の有酸素運動をしているといいます。

歩くだけで、何かメリットがあるかもしれませんね。

 

・歩く時間を無駄と思うかどうか

昔の僕にとっては間違いなく歩くことは無駄でした。早い方がいい。絶対に。そう思っていたからです。

でも今は違います。自分の1日をゆっくりにするために、体と脳をスッキリさせて生産性を向上させるために歩きます。

 

どうも時間だけでものごとを考えると、何かおかしくなってしまうようです。

 

みなさんも30分以内の距離なら歩く、などルールを決めて少し歩いてみてください。

きっと自分の体や身体に影響があると思います。

 

こんな景色もみれますしね

f:id:skafuka:20190314235248j:image

 

上野で桜をみる:大寒桜

f:id:skafuka:20190314002030j:plain

 

こんにちは。しんいちです。

 

今日は上野に行ってきました。写真にあるようにすでに、少し早い桜が咲いています。

上野は本当に外国人さんが多くて、桜の写真を撮りに集まっていました。

まだ時期には早いですが、もうこんなにきれいに見ることができます。

実際には3・21から東京で桜が見頃になるそうです。

 

花びらを拾う

 

桜の花びらが散り、地面に落ちる前にキャッチできると幸運になると聞いたことがあります。

こどもたちは自然に花びらを飛びながらつかもうとしていました。

その様子に私は春の喜びを感じます。

 

こどもだけではありません。様々な人が降り注ぐ桜の花に手を伸ばしています。

その花びらが手のひらに入るか、入らないか。

 

 

ワラウ

 

笑うと書く時に、昔は「咲う」と書いたそうです。

花がわらう、やまがわらう。

 

桜の花びらを捕まえようとする子どもたちの笑顔に、春が咲いたのを見つけました。

 

この「ワラウ」感覚は、寒ければ寒いほど感じる気がいたします。

リトアニアは-30℃近く行く、極寒の国でした。目も開けてられないほどキンと寒かった記憶があります。

 

リトアニアに春がきたときは本当に感動的でした。

 

啓蟄

 

啓蟄」という言葉があります。

 

二十四気の一つで、太陰暦の2月の節気。太陽暦、つまり今のカレンダーですと3月5日頃になります。また、啓蟄とは、冬にこもっていた虫が地中から這い出ることをいいます。

 

虫たちが厳しい冬に耐え、長い眠りから覚める時。

ほのかな春の匂いを感じて、顔を地表に覗かせる時。

命が地面からはいでてくる時が、春です。

 

虫が植物が、動物がそうであるように人間もまた、あなぐらから命を芽吹かせるのでしょう。

 

リトアニアの春に感じた感動は、生命の脈動とでも言うような、春の喜びからやってきたものだと思います。

 

 

 

”Want”は意外と見えない

こんにちは。しんいちです。

今日は自分のやりたいことって意外と見えないな、というおはなしです。

f:id:skafuka:20190313000234j:plain

Wantは意外と見えない

「なにしたい?」と聞かれると困ることはありまそんか。

僕はよくあります。

色々考えた結果「なんでもいい」だったりもします。

でも自分が他人に質問する時、けっこう「なにしたい?」と聞くことが多いな、と思います。

これは相手に完全に自由な選択権を与えることで、相手をリスペクトしているように見えます。

しかし一方で相手に全責任を追わせる行為でもあるのです。

何かを選ぶということ:自由の牢獄

ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」という本があります。

自由の牢獄 (岩波現代文庫)

自由の牢獄 (岩波現代文庫)

 

 

大雑把にまとめると、ある日、男が目覚めると周囲にたくさん扉があるだけの空間にいました。突然声が鳴り響き、正しい扉を開けば生きて出られると言います。しかし、間違った扉を開けてしまえば死ぬほど恐ろしい目に合うというものです。

この男、選択肢がおおすぎて選べずに、扉の数を減らしてもらうように頼みます。

 

100枚、50枚、10枚、3枚、2枚と減らしていき、最終的に1枚になっても男は出ていくことを選べずにそこにいることを選ぶという話です。

自由な選択肢がそこにあるというのに、結局何もしないで現状維持を選ぶという。

それほどまでに人間は選択に弱いのです。 

 

 ちなみに少し違う話ですが、

スーパーのジャムの売上高の実験も有名ですよね。

三種類のジャムを売るのと。二十種類のジャムを売るのでどっちが売れるか?

 

結果は三種類の方だそうです。

選択肢が多すぎても選べないわけです。

松竹梅などコースも3つのコースから選べることが多いです。


なんでもいいと言わないこと

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)

 

 

 

この本では以下のように述べています。

誰かに決めてもらったら痛みはない。だが、それは自分の人生を放棄しているのと同じだ

 

何かを選択するということは、それ以外の選択肢をうしなうことでもあります。

ブルーハーツの歌詞にもこういうのがあります。

生きられなかった時間や
生きられなかった場面や
生きられなかった場所とか
口に出せなかった言葉
あの時ああすればもっと今より幸福だったのか
あの時ああいえばもっと今より幸福だったのか

僕の一番好きな歌の一つ「ラインを超えて」の一節。

 

 

自分のWantは意外と見えないものです。

しかし、それこそが自分の人生を生きる上で大事なことだとお思います。

なにかやりたいことをやるために生きているとしたら、

短い人生でそれを忘れずに、いつか後悔しないように生きていきたいものです。

 

生きられなかった時間に背中をそっと押されながら。

こんにちは。しんいちです。

 

今日昼頃にパソコンを開いた所、東日本大震災の時間でした。

しばらく黙祷を捧げたあとに、YouTubeで当時の動画を観ました。

f:id:skafuka:20180322004051j:plain

いつも震災を思い出すと、いろいろ考えます。

命のこととか、原発のことなどです。

 

沈黙の気泡

佐々木中さんという哲学者の方がいる。大学で何度か授業を受けた。

彼は「仝(どう)」という本の中で、震災についてふれた。

仝: selected lectures 2009-2014 (河出文庫)
 

 

当時、震災の直後にメディアは悲惨さを伝え、清水寺今年の漢字に絆と書き、アーティストは歌を書いた。しかし、佐々木氏は語るべきではない、と主張する。

アウシュビッツを語ることなかれ

第二次世界大戦中にナチスドイツによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストが起こった。

私の大学での専門分野はこのホロコーストである。

 

この出来事はあまりにも悲惨な出来事であり、人間により人間の生命の尊厳を奪う自体が発生した。

アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」

アドルノ「文化批判と社会」(『プリズメン』ちくま学芸文庫 36頁)

 

アウシュビッツの被害者がどのように悲惨な経験をしたか。

それを語ることはできない。ホロコーストについて語ることは、現実に日が言い合った人侮辱しているのと変わりない。そう語る人も現れた。

 

有名な映画「シンドラーのリスト」も、ホロコーストを軽薄なドラマにしてしまったと、批判をする識者もいる。

 

 

311をどう扱うか

私はいまだにあのできごとについて説明することはできません。

というかやはり、津波に飲まれた、故郷を奪われた人の苦しみは東京にいたわたしにはわからないのです。

「語り得ぬことには沈黙せねばならない」。

季譜 flower-notes 1「墾(は)る」より:春の生と死

こんにちは。しんいちです。

 

本日は「季譜 flower-notes 1「墾(は)る」(piano 平本正宏 × flower 塚田有一)」に参加してきました。

http://onshitsu.com/2019/02/09-233126.php

 

 

代官山という土地に、ひっそりと存在する小さな音楽室。

プライベートな空間に、上質なピアノのメロディ。

そこに立ち上る植物の光景がとても印象的でした。

f:id:skafuka:20190310201206j:image

 

花を愛でるということ

 

季節は春。生命が眠りから覚め、顔を出す時期です。

同時に喜びの季節でもあります。

 

僕はリトアニアにいました。

あの国の冬は気温ー30度まで行きます。

そんな気温だともうそとにでたくないし、太陽なんてしばらく見れません。

文明が発展していない昔だったら、死者すら出ていたであろう気候。

 

そんな寒さの中にいると、春の暖かな日差し、ほおを撫でる春の香りに

魂が震えるほどの喜びを感じます。

 

そうなのです。春は生命にとって喜びの季節です。

 

しかし生命が発るということは、生命が果つることでもあります。

そういう意味できっとTSエリオットは、「春は残酷な季節である」といったのかもしれません。

 

みなさんは、花を見るときに心が震えますか?

一輪の花がかすかに開いたのに、喜びを感じますか。

 

花咲う

 

今朝、ベランダにあった椿の蕾が微かに開いていました。

太陽の光をいっぱいにあびて、こちらを向いている花をしばらく見つめました。

 

そうすると花はなんというかこう、話しかけてきているのでは、という気がします。

そこにありありと生命を感じるのです。

 

春といえば桜ですね。

 

桜の季節になると、いつも散り際が美しいと感じます。

満開の桜よりも、死んでいく散り際が素敵です。

 

そう考えると、植物にとっての死とはいつなのでしょうか。

気になりますよね。

 

木が朽ち果てたときですか。花びらが散るのは違うのでしょうか。

どうも生死というのは曖昧なもので、循環するだけのものとも言えるかもしれません。

 

1つ前

 

今日は東日本大震災の3・11の1日前でした。

 

ピアノは染み渡るようなリズムを奏で、花はそれに共振するように揺れ、景色が立ち上がっていきます。

今そこに、春が発ちのぼって、そして生死が同時に生まれます。

 

でもこの時だけは、喜びに揺れていました。

 

花は、植物は激しく震えていました。

 

311の前に。